ドイツかぶれの徒然

英語が嫌いで気づいたらこうなっていた。思い出したように更新するただの生存報告になりつつある

君の名は。 ネタバレと妄想編

我慢できなくて夜も書く!

今回はネタバレというか、見てないとわからないネタ満載で書きます。

 

1.なんで親父さん説得できたの?

見た感じ、ここが結構議論が分かれてるみたいなんですよねー

確かに劇場で見てた時は、ここから怒涛の親子の和解! ……が描かれるんだろうと思ってたらなくて肩透かしだったんですが、後から思い出すと違うんですよね。

おばあちゃんの「そんなこと誰も信じん」という台詞、おばあちゃんも信じなかったと解釈してる人が多いですが、これ、おばあちゃんは信じたと思いますよ。ただ常識として、それじゃほかの人に認めさせることはできんぞ、と言っただけで。

お父さんはもっと立場があって、しかも男だしw そんな優しい台詞は言えないんです。でも、「おまえは誰だ?」なんて、実の娘を前に普通言いませんよね? 目の前に立ってるのが娘の体をした別人であることに気づいてる。お父さんは民俗学者だったことが「謎の避難訓練」を伝える雑誌にちょこっと書いてある。

そして犬猿の仲だったはずのお父さんとおばあちゃんは、電波ジャック騒ぎの中で町長室に額を突き合わせて深刻に話し合っているのです。この時点で、四葉を加えた三人は入れ替わり(というより、周囲から見たら「神懸かり」)を起こした三葉の言ってることが正しいと確信してるんだと思います。

ただ、公人としての町長を動かすには一押しが足りなかった。そこに娘がやってきて、消滅した町を見てきた、と伝えるだけでたぶん町長は「突然の避難指示」に奔走しだしたんじゃないかなって思います。

 

あとこの作品をSFだって言ってる人が結構多いんですが……それ、スコシ・フシギ的な意味だよね? まったく科学要素がないんですけど。

てか、新海さんなのにSFだ! とか「秒速」「言の葉」しか見たことがない人が言ってるのもなんかアイタタ。

二回前の記事でもこれを「和ファンタジー」って書いたけど、別の言い方をすると「現代の神話」だと思う。伝奇っていうとちょっとホラーがあるようなのを感じて違うと思うけど。いやでも死者と交信するのは十分ホラーか。新海マジックの映像美に騙されてるだけで。

で、現代の神話という視点でこの物語のあらすじを再編成すると、1200年周期でやってくる彗星による町の滅びを前に、一人の少女に神懸かりがおきて、未来人の人格と入れ替わって町を救う物語、ということになる。

瀧のほうにも入れ替わりがあったのは全くの余禄で、物語の中心にいるのは三葉のほうなんですよねw

ついでに瀧のその後は割と描かれましたが、再会までの三葉のことはあまり描かれてないので妄想してみます。

瀧の奇行は周囲から見ても「あいつなんかおかしかったよな」で済むんですが、三葉のほうは町を救っちゃったんだからそうもいきません。家族や友人二人はもちろん、ほかのクラスメートや役場の人(娘が来た後に町長が豹変したのを見ている)も、あの強引な避難指示のトリガーが三葉だってことをわかってるはずです。

でも週刊誌には町長の思い付きによる強引な避難訓練だと書かれている。これは関係者全員が三葉を好奇の視線から守るために口裏を合わせた結果だとしか思えません。山村コミュニティのやさしさの一方、三葉はなんか特別扱いされることに耐えられなくなるんじゃないかなぁ。

飛騨の山奥から東京に友達も三人とも上京してるのは、考えてみたらあまり普通じゃない。特にテッシーは地元志向が強そうだったし、普通に高山あたりで暮らしててもおかしくない。飛騨からなら進学先もまず名古屋、京都だろうし。東京はもうちょっと遠い憧れの存在みたいな感じでは。だから三葉も「東京のイケメン男子!」と叫んだのであって、東京が手近な存在であれば、憧れの対象は「ベルリンの金髪碧眼!」であったはず……いやそれはない?(申し訳程度のドイツ要素

話を戻すと三人が東京暮らしをしてるのは、三葉が東京の記憶に焦がれ続け、糸守出身者のコミュニティーからも離れたくて上京したためで、あとの二人は三葉についてきたんだと思います。

テッシーの心境もなんとなくぐっとくる。好きな子が神懸かり的なことを言い出して、ノリで付き合い始めたら本当に神懸かりで、しかもその最中に「アイツの名前が思い出せん!」なんて言われるなんて、失恋ですよ。でもテッシーはそのことで「アイツってだれだよ!」とか女子みたいな問い詰め方はしないw 最後まで三葉の味方をして背中をおす。

ここから前言を翻してSF的な話にもなるんですが、もし彗星災害の直後に三葉が上京して瀧と会っちゃうと世界がタイムパラドックスの渦に巻き込まれるんじゃうんですよね。でもそれをしなかったのは、誰かがそのことを指摘したんじゃないかなと。それはテッシーしかいないと思うんですよ。三葉が出会ったのは三年後のアイツなんだから、それまで会いに行っちゃいけない、って。

うーむテッシーぐう有能。

あと瀧は三葉のことをほとんど忘れてしまっていますが、三葉のほうは名前こそ忘れましたがもっといろいろ覚えてると思います。またSF的言葉(ってかシュタゲ語)になりますが、瀧のスマホに直前まであった三葉の日記がいきなり消滅したのは「世界線のズレを観測してしまったから」でしょう。瀧のしたことは過去改変なので。

一方で三葉からすると一連の出来事は未来の運命を変えただけなので、瀧がやってきて入れ替わった事実そのものは変わらない。というか、それがないと三葉生存の世界線が成立しない。だから、瀧が書き残したノートの落書きとか、三葉の誰かと入れ替わっていた記憶とかは、薄れながらも消滅せずに残ったんだと思います。

だいたい、瀧は巫女能力で召喚された被害者なのに対して、三葉は能力発揮した主犯だしw

でも瀧が「東京のイケメンだったら誰でもよかった」ってのはどうなんでしょうね。3年前の彗星のことを忘れるくらい今を全力で生きてて(ってか、感想見ててもチェリャビンスクのことに触れてる人がほとんどいないのは、現実に3年前の出来事が薄れるのってこんなに早いものなの? って気分に)、町を救う行動力があって、そして何より命を懸けられるほど三葉を好きになる運命を背負った男じゃないとダメだったはずです。

まさに神様の神人選ですよ。

 

2.電車がおかしい

いろいろ言われてるけど……まぁ自分も鉄の端くれだし。でも新海さんが今まで鉄道描写に拘ってきたことを思うと、ミスだらけというのは信じがたい。

というのも、私は劇場で「東京駅に向かう三葉の新幹線の右手に東京タワーが見えて後方へ通り過ぎる」というシーンに気づいてうん? って思ってたんですよね。

ほかの人はもっと気づいてて、「飛騨古川の2番線に特急が入線していて、しかも進行方向が逆」「同方向に走っていたはずの二人の乗った電車が千駄ヶ谷と新宿に到着」あともう一つくらい指摘されてましたが……とにかく、多すぎる。加えて、飛騨古川のシーンを見ると光線が逆で、北から太陽が当たっていることになっている。

ここまでくると、これはわざとだとみるのが正しいのでは。

それを単に、フィクションの空間であることを明示するために仕込んだ、と考えることもできますけど別解釈をしてみます。

すなわち「今作に登場する電車(列車)は、ただの鉄道ではない。出会うはずのない人生が触れ合う神秘的な空間だ」というもの。

実際まぁ電車ってそういう空間じゃないですか。全く違う人の人生にちょっと触れることができる場所。時々運命の人を見つけちゃう人も実際いそうだし。そうした要素をもっと純化した空間として、舞台装置として電車内を使っているんだ、という解釈。

三葉が(時系列的に)最初に瀧に会いに行くとき、新幹線を使って上京して、なぜか地理的にはおかしな方向から東京につく。そして四谷近辺の鉄道を乗り回して、瀧に出会うのは電車の中。電車の中で話しかけて、電車を降りたらもう二人の縁は途切れてしまう。でも名前を聞くことで、組紐を電車の中に投げ渡すことで、出会うはずのなかった二人の縁が繋がれるんです。こう見ると、電車の中と外は別の異空間として描かれている。

瀧が飛騨に行くときも、特急は逆方向から駅に着くんです。ひょっとすると飛騨という舞台設定も、東京に鉄道でしか行けない秘境、ということで選ばれたのかも。

二つの人生を繋ぐ装置である列車は、現実の鉄道線路ではなく神秘的な精神のトンネルを抜けて目的地にたどり着く……

そう考えたら、歩道橋ですれ違っても気づかなかった二人が、電車内から窓越しに見たときには気づくというのも納得できる話ではないですか?

 

しかし危なかったなぁ二人。そこで西に向かって参宮橋へ行ってたら永遠に出会えないフラグが立ってたぞw