Hearts of Iron 4 ~初心者でもできるアシカ作戦~(だけ)
最近はHoI4ばっかりやっています。超硬派な戦略シミュレーションゲームシリーズの最新作ですね。
HoI2はしたことがなくて3はしたことがあるのですが、操作量が多すぎて大変という印象でした。今作はAIへの指示が出しやすくなったので、大軍の操作をいちいち手動でする必要が薄れたようです。まぁそれでもシビアな戦況だと手動操作が必要ですが。
で、アシカ作戦Unternehmen Seelöweといえば、第二次世界大戦中ドイツが計画したイギリス上陸作戦。現実の戦況だとどう逆立ちしたって実行できない無謀な作戦でしたが、HoI4ではうまく戦略を立てればなんとかならないかな? と思ってやってみました。
なおさすがに自分も初回からドイツプレイをしたわけではないです。イタリアをやってみて戦域の広さに右往左往させられる割にAIドイツのへぼ具合に頭を抱えさせられ、アメリカであまりの制約の多さに初期で投げだし、ソ連で大軍を作って大陸制覇をしてみたものの、海空軍がしょぼい状態では日本に上陸できず枢軸を滅ぼせない、イギリスに上陸できず連合を滅ぼせない・・・となって、独ソ戦をする以上ドイツとソ連には海空軍拡張の余裕が少ない・・・と考え、いろいろ試した結果こうしました。
難易度は新兵です。ぬるゲーマーなので。史実AIオフ、リロードあり。
1936年:政治力がたまり次第正当化をかけ、オランダを食いに行く。これでゴム資源をゲットし、ついでに石油と工業力も手に入れる。もちろんエチオピアとスペインにも介入。
1937年:陸軍を数だけ増やして増やしてアンシュルスとチェコスロバキア併合、スロバキアもまとめていただく。歩兵師団に砲兵を加えるのを後回しにすれば人的の制約をクリアしやすくなるけど、ろくに装備も練度もない師団が大半に。だが後のことを考えて海空軍の生産を優先しておく。
1937年中盤から38年:日中戦争に日本側で介入。5個師団だけ送るが、別の師団テンプレートにしておいて戦闘幅を40まで拡張。実質10個師団の戦力になり、共産党と重慶と南京と上海を順に突いて戦争の趨勢を決定づけておく。
1938年:MR協定→ソ連との同盟。ソ連と戦争しないなら陸軍はそんなにいらないとはいえ、装備の生産が全然間に合わない・・・・・・併合した国の小銃すらありがたい。
1939年2月:正当化でポーランドに宣戦。別にメーメルいらないしNFによる開戦をプレイヤーがする意味はあまりないんじゃ? 同時に英仏だけでなくアメリカ・デンマーク・ベルギー・スイス・ルーマニアが敵に回る。直前に気付いて国境に肉壁部隊を配備するものの、装備の足りない新兵ばかり。特に自動車化師団と戦車師団には自動車しかなく小銃すらなかった。ヤバい。一方でイタリアとスペイン、少し遅れて日本も味方についてくれた。敵兵力を分散してくれることを祈る。
1939年3月:ポーランドは東西南北から圧搾され消滅。全軍を挙げて西へ移動する。どれほど薄っぺらな師団でもAIの足を止めておくには十分だった模様。このころ空戦がすごいことになっていて、2500機ほど用意しておいた戦闘機が500機くらいにまでうち滅ぼされた。エースが誕生しては撃墜されを繰り返したが、敵機も同じくらい落せたのか最終的には戦場上空の制空権を手に入れた。
1939年4月ごろから中盤:ベルギーからフランスになだれ込む。パリはあっさり落ちたものの、最後までマジノ線とスイスが残った。硬すぎ。なお小銃のない自動車部隊も機械化肉弾浸透強襲戦術(意味不明)で最前線を突っ走っていた。装備の意味っていったい。このころイランに道路用として宣戦布告しておき、実際の戦闘はソ連にお任せして日本と一緒にインドを滅ぼさせる。
1939年後半:ひたすら装備の充実、練度の回復、特に戦闘機と戦車の大量生産に力を注ぐ。海軍も新戦艦4隻を配備して準備を整える。イタリアとスペインがアフリカ分割競争をしている。フィンランドに宣戦布告してソ連に投げ、こちらは上陸の練習がてらにデンマーク攻め。基本的には超平和。
1940年2月:海兵隊IIの研究完了を契機にアシカ作戦発動。1500機ほどの戦闘機と海軍の全力でイギリス海峡の制海権を取り、エセックスとサセックスにそれぞれ24個師団を送り込む。ついでに空挺も使うけどあまり役に立たず。英海軍が迎撃に来たがなんと戦艦3、巡戦6を沈める大勝利。こんなに勝てるとは思わななんだ。また戦闘機が1000機ほど減らされる。
1940年3月:イギリス降伏。
さて、こっからどうやってアメリカを攻めようか・・・
帰ってきたヒトラー
見てきました。いやぁ序盤で方々を茶化しまくってますね。あんだけいろいろネタにして大丈夫なもんなんだなぁ。
「彼」が緑の党を称揚するシーンもありますが、当然、反戦や反独裁を強く掲げる緑の党と「彼」が自然保護の主張で一致するというのは最大最強の皮肉。こうしたところ、やっぱり予備知識ないと苦しいのかも。
でもこの映画の言いたいところはドイツだけに適用される話ではないはず。ドイツと日本にだけというわけでもない。アメリカでもイギリスでも、近隣の国々でも、たとえ選挙がなくても「民意」を勝手に解釈して錦の御旗にして対立を煽っている指導者とメディアがいるのはどこでも同じではないでしょうか。
そして、ネットがこれだけ普及してしまったゆえに、民衆も煽られる側から煽る側へと容易に転じうる状況になっていると思います。
だから映画を見ながら考えました。次の「彼」は「彼」の顔をして帰ってこないのではないか、と。
今作では「彼」があの顔、あの風体、あの話しぶりだから注目されて再びその意見がテレビで流れてしまうわけですが、もし「彼」が全く別の姿に転生して、匿名で情報発信しだしても結果は同じになるんではないかな?
考えてみれば原題は「Er ist wieder da.」。Erは別に男性名詞であれば人間でなくったって構わない。ひょっとしたら、なんとか主義(なんとかismus)という意味が含まれてるのでは。帰ってきたのは「彼」ではなく「かの思想」ということなのかもしれない。
「彼」の主張や手口に似ている点があるからと言って「「彼」と同じだ、ナチスと同じだ」と攻撃することは、結局自ら「彼」と同様の行動をしているわけで。さらに口では政敵をナチス呼ばわりして批判をしながら言論の封殺や民主主義の否定を目論んでいる人々までいるようでは、この表現しがたい「かの思想」は、最近戻ってきたどころかずっと世界中に潜み続けている病気なのかもしれません。
今日は参議院選挙の日。より良き民主主義のためには議席数の配分より、投票率が少しでも上がってくれることを願います。
しかしフラッシュモブ撮影をしたといわれているけど、どこからどこまでがそうなのかわからないのが怖いところ。酒場で政治について語っているシーンはともかくとして、W杯優勝の時のシーンとか、いったいどうなってるんでしょう。
やらせだとは言い切れないところが、うすら寒くなるところではあります。
ユーフォの劇場版
遅ればせながら、見てきました。というのも、布教しようと口説いていた友人と予定がなかなか合わなかったもので。自分にとっては新規カット探しが楽しく、布教用としても丁度いい仕上がりだったのかなって思います。
みぞれちゃんがしゃべったああああああああああああああああああ
しかしね、キャラの動きはほぼそのままで使いまわし部分までそのままだったのに、楽器のカットはずいぶん変わってませんでしたか? ディティールが加わってたりとか、例の浮くスライド事件のところとか。
布教相手がホルン吹きだったので、マッピ投げるし→マッピに手を掛ける のシーンもあるかと思ったのですがそこはカットされてましたね。あと久美子の鼻血シーンが無くなっちゃったのは映倫的な問題でしょうか。
高坂さんが自転車で通りかかるシーンが追加されたのは、高坂さんが久美子をストーカーしていた疑惑を晴らすため? 宇治橋からの位置関係で、なぜか高坂さんが学校と反対の向きからやってくるという点は解消されてないんですけどね。まぁそもそも、「黄前さんらしいね」のシーンがなかったのですが。
というか久美子と麗奈の声が全面的に録りなおしだったと思うのですが、ちょっと演技しすぎな感じがしてTVシリーズのほうが好み。素人くささが好みなんていったら、プロの声優さんには失礼かもしれないですが。いわゆるアニメキャラっぽさがでてしまった感じがする。
あとは全体的にゆっくりとしたテンポのアニメの中でこそ、葉月ちゃんの告白→玉砕の甘酸っぱい苦さが際立ったと思うのですが、劇場版のカットされまくりの中ではただの省略の一種に見えてしまったかもしれない。
そもそもが、4時間半の映画を見ているかのような無駄な時間のない1クールでしたからね。それでも演奏シーンをほとんど削らなかったのはすごいと思います。三日月の舞やライディーンには新規カットも入ってましたし。
そうそう、三日月の舞といえば最近ようつべに海外の団体が演奏した動画も上がってます。吹奏楽の世界って広いようで狭いんですね。(ただし耳レイ○注意です)
前に論考しようとして力尽きてましたが、吹奏楽曲としての「三日月の舞」は、少なくとも原作二巻の内容を踏まえながら(オーボエのソロがあるため)、一方で三巻の内容とは若干の矛盾がある(ユーフォのソロがあるため)と思っているので、そのあたりどう上手に解消してくれるかなというのも気になっています。
少なくとも、この劇場版でもオーボエのシーン、エンディングの吹奏楽版と新規録音の吹奏楽の音も入ってましたから、二期に向けていろいろ録音してるんだと思います。3巻の登場曲数の事を思えば、そこまで行くのかな・・・・・・? という期待が高まりますね。
なんか、秋が待ちきれないので(そして夏も何見ればいいんだという……)、塚口とかで上映始まったらまた一人で見に行くかもです。
-- 8/10 :で、また見に行ったのですがマッピに手をかけるシーン見逃してただけだったみたいです。
阪急新1000系列
気がつけばどんどん増えてきましたね。並びを見たり1000系同士、1300系同士の追い抜きがあったりも珍しくなくなってきました。実は全く予定せずに1000Fの営業運転日の一番列車に乗っていたりします。
個人的には9000系列より好きな車両です。というのも扉脇の手すりが逆手でも掴めるようになったから。乗り心地も妙にぐいっと引っ張られるような感覚がなくなっているように思います。停車時も回生失効のときの衝動がないですし。
2300系や3000系が本線系統から引退して、ミンデンドイツ式の乗りやすい揺れを体験できなくなったのは残念ですが、時が止まったようだった阪急もちゃんと時間が動いているようでありがたくもあり寂しくもあり。
ただ7000系も改装を受けてこのまま扉前につり革のある車両が主になっていくと思うと、より混雑時の扉付近への集中が加速してしまうなぁという気がします。
まぁ、淡路の工事も完了すれば途中駅で乗降が交錯するのもましになるのでしょうし、そこまで見据えてるのかもしれませんが。
あと10年たったところで新生淡路駅、できてるのかなぁ・・・
題名◯ない音楽会(隠す気なし)
DREAM SOLISTERにまどマギに進撃にとあるので見たけど……
あの司会者、ユーフォという楽器自体をしらなかったなんて本当に音楽家?
以前は吹奏楽聞いたことがないって……
しかもそれを堂々と口にしてしまう辺り、無知をさらけ出してもなんとも思ってないんですね。
流石に彼の個人的ファン以外はそろそろ疎ましく思ってるんじゃ。
オーケストラ至上でしかもバイオリンがその支配階級に位置するという、徹底的な差別意識がなきゃあんな発言はポンポン出ないでしょうよ。
ああじゃないとソリストって務まらないのかな? だとしたら、良き演奏者は口を利いてはいけないということになりそうですね。
早くまともな音楽番組に戻って欲しいです。
”ディストピアもの”のディストピア観
再び完全な思うまま雑記。ディストピアが何かはぐぐってうぃきってください。
”ディストピアもの”には勿論作者の(そして社会の)考えるディストピアのあり方が反映されている。それは実世界において最も忌避されることであるからディストピアものとして成り立つ訳で、逆に何が最も奪われたくないものなのか、何が最も恐怖の対象なのか、そういうものを浮き彫りにしている。そうしたことは、時代によって変遷しているんじゃないか、と思いついた次第。
思いついた時は「1984年」とTRPGの「パラノイア」くらいしか思い浮かばなかったけど、調べてみたら「地球へ」「シャングリ・ラ」といったものもディストピアものに該当するなと思った。他方「コードギアス」や「図書館戦争」をこの枠に入れるのはどうかとも思うけど、関連しているのは確か。
「1984年」はナチス打倒直後、昨日の友であったソ連が今日の敵として東欧をより苛烈に支配し鉄のカーテンを敷いた時代にイギリスで書かれた。描かれているのはスターリニズムがより極端な形となって行き着く先の社会と読み取れる。
一方「パラノイア」や「地球へ」だと支配者はコンピュータである。これらの作品が作られた時代にはコンピュータが人間を支配するのは暗黒の未来図であったが、現実はどうなっているだろう? この記事は果たしてコンピュータ様の検閲を受けるだろうか?
「シャングリ・ラ」はアニメで見ただけなので今度改めて原作も読みたいと思うのだけど(今、熱烈に読みたい)、「図書館戦争」も含めて前の時代の同ジャンル作品と違うのは、少数の敵を作って大衆を憎悪に向かわせるのではなく、大衆に対して反論しづらい善行(CO2削減、不良図書の排除)を強要するという社会体制であるという点ではないか。これは「最後の喫煙者」も同様に見れるかもしれないが。
全部に共通するのは、主人公サイドは反乱者でなければならないということ。これは小説作品として主人公or語り部or視点が読者にとって理解できる存在でなければならないという限度があるから仕方ない。ワトソン役を使ったところで、ディストピアの体制側を描くのはなかなか難しいものがあるのかもしれない。
ということで、誰かいいディストピアものの作品知ってたら教えて下さい。
言葉の指し示す範囲のズレ
画像もないダラダラ雑記です。
しばらくやっていたTrainFever Wikiの客貨車リペイントリスト作りが火曜だったかに終わりまして……ちょっと逃避したくなったので40件弱分を缶ビール片手に一気にやった後寝て起きて更新したんですが。
その裏話というにはTFの話題から離れるかなと思って脱線しながらこっちで。
リスト作りで翻訳をしていて、全く日本語になっていない概念や単語にぶち当たるということは滅多にないので(Gummiringfeder-antriebとか未だに文系には手に余るんで翻訳できてないけど)、むしろ辞書や翻訳サイトで引っかからない時も日本語でなんというのかということを調べるほうがメインです。とりあえず自分で訳しておいて後から修正することもありますし。
そんな中で、日本語とドイツ語とついでに英語で同じ意味のようで違う意味を持つ、咬み合わない訳語に時々出会うので思いつく範囲で……
1.Triebwagen ≠ Multiple-unit ≒ 動力分散方式
Triebwagenを直訳すると動力車になります。なので本来的にはモーターやエンジンなお動力を持っていて、かつ客室ないし荷物室を持つものがTriebwagenです。モハとかキユニとかですね。ちなみに付随車はBeiwagen、制御車はSteuerwagenと言います。そして固定編成の電車はTriebzugと呼んでいるっぽいんですよね。
ところがTF.netでもそうなのですが、他の場面でもTriebwagenという言葉でいわゆる電車や気動車の編成一式や、そこに含まれる付随車や制御車を併せて扱っていることが見受けられるように思います。
一方で英語のMultiple-unitは総括制御、二両以上の動力車を片方から遠隔制御するシステムのことを差すわけで、これだと単行の電車は含まないんでしょうね。こっちのほうが動力分散方式という語には適する気がします。
逆に日本語で単行の電車や気動車を差して動力分散だと主張することのほうが無理があるのかも。
2.Wendezug = Pendelzug = Push-pull train ≒ プッシュプル列車
日本の鉄界でも割とペンデルツークという言葉は広まっている気がしますが、実はこれはスイスでの言い方でドイツだとWendezugだったりします。
機関車が後押しして推進運転し、制御客車が先頭に立つのが一般的なスタイルだとは思いますが、スイスだと機関車ではなく電車がついていたりとか、しかも事実上の固定編成だったりとかするのでもうTriebzugとの区別をどこでつけていいのやらという感じ。
さらに両端が機関車というスタイルのものもあります。TGVとかICE 1がこれですが、あまりWendezugと呼ばれている感じではない。固定編成だと定義から外れるのかな? さらに最近は機関車が中間に入って前後とも制御客車なんていう列車もあるのですがこれもWendezugなんですかね?
そして日本語のプッシュプルは、日本での推進運転の例が少ないこともあってか両端が動力車のものだけを指していることがあるよう。片側だけが動力車という時は、まんまペンデルツークと呼んでいる事が多いかもです。
3. Abteilwagen = コンパートメント車 ≠ Compartment coach
これはおやっと思ったものですが、英語のCompartment coachは通路がなくて扉が沢山ある、シャーロック・ホームズやダウントン・アビーに出てくるスタイルのものだけを指すらしいんです。ホグワーツ急行で使っているようなのは(Side) Corridor coachなんだそうで。でもドイツ語でも日本語でもこの二者は特に区別してませんし(区別する必要があればどちらも「通路付き」的な言い方をします)、日本語は英語由来の単語のくせに英語よりドイツ語の語意に近いという現象が起こっています。
これに関連して困るのはGroßraumwagenのほうです。こっちのほうが日本では当たり前すぎて、区別する語が必要とされていないんですよね。一応、開放客室という言葉を見つけたので使っていますが。
この間ゴミ箱に「カン・ビン」しかなかったのでペットボトルはどこに捨てようという場面で、「ドイツ語だったらどっちもFlascheなんだしー」と言ったことがありますが、これは日本語では瓶をガラスという意味を含んで使っているのが悪い。どうにも、同じ言葉を使っていながら言葉の意味が変遷していくというか、下手をすると話し手と聞き手で違う意味に取ったりしているから、日本語ってめんどくさい。
そして往々にして正しい日本語とか主張する人ほど、自分たちの都合の良いように言葉を曲解するのが好きなんですよね。