ドイツかぶれの徒然

英語が嫌いで気づいたらこうなっていた。思い出したように更新するただの生存報告になりつつある

”ディストピアもの”のディストピア観

再び完全な思うまま雑記。ディストピアが何かはぐぐってうぃきってください。

 

ディストピアもの”には勿論作者の(そして社会の)考えるディストピアのあり方が反映されている。それは実世界において最も忌避されることであるからディストピアものとして成り立つ訳で、逆に何が最も奪われたくないものなのか、何が最も恐怖の対象なのか、そういうものを浮き彫りにしている。そうしたことは、時代によって変遷しているんじゃないか、と思いついた次第。

思いついた時は「1984年」とTRPGの「パラノイア」くらいしか思い浮かばなかったけど、調べてみたら「地球へ」「シャングリ・ラ」といったものもディストピアものに該当するなと思った。他方「コードギアス」や「図書館戦争」をこの枠に入れるのはどうかとも思うけど、関連しているのは確か。

「1984年」はナチス打倒直後、昨日の友であったソ連が今日の敵として東欧をより苛烈に支配し鉄のカーテンを敷いた時代にイギリスで書かれた。描かれているのはスターリニズムがより極端な形となって行き着く先の社会と読み取れる。

一方「パラノイア」や「地球へ」だと支配者はコンピュータである。これらの作品が作られた時代にはコンピュータが人間を支配するのは暗黒の未来図であったが、現実はどうなっているだろう? この記事は果たしてコンピュータ様の検閲を受けるだろうか?

シャングリ・ラ」はアニメで見ただけなので今度改めて原作も読みたいと思うのだけど(今、熱烈に読みたい)、「図書館戦争」も含めて前の時代の同ジャンル作品と違うのは、少数の敵を作って大衆を憎悪に向かわせるのではなく、大衆に対して反論しづらい善行(CO2削減、不良図書の排除)を強要するという社会体制であるという点ではないか。これは「最後の喫煙者」も同様に見れるかもしれないが。

全部に共通するのは、主人公サイドは反乱者でなければならないということ。これは小説作品として主人公or語り部or視点が読者にとって理解できる存在でなければならないという限度があるから仕方ない。ワトソン役を使ったところで、ディストピアの体制側を描くのはなかなか難しいものがあるのかもしれない。

 

ということで、誰かいいディストピアものの作品知ってたら教えて下さい。