ドイツかぶれの徒然

英語が嫌いで気づいたらこうなっていた。思い出したように更新するただの生存報告になりつつある

帰ってきたヒトラー

見てきました。いやぁ序盤で方々を茶化しまくってますね。あんだけいろいろネタにして大丈夫なもんなんだなぁ。

「彼」が緑の党を称揚するシーンもありますが、当然、反戦や反独裁を強く掲げる緑の党と「彼」が自然保護の主張で一致するというのは最大最強の皮肉。こうしたところ、やっぱり予備知識ないと苦しいのかも。

でもこの映画の言いたいところはドイツだけに適用される話ではないはず。ドイツと日本にだけというわけでもない。アメリカでもイギリスでも、近隣の国々でも、たとえ選挙がなくても「民意」を勝手に解釈して錦の御旗にして対立を煽っている指導者とメディアがいるのはどこでも同じではないでしょうか。

そして、ネットがこれだけ普及してしまったゆえに、民衆も煽られる側から煽る側へと容易に転じうる状況になっていると思います。

だから映画を見ながら考えました。次の「彼」は「彼」の顔をして帰ってこないのではないか、と。

今作では「彼」があの顔、あの風体、あの話しぶりだから注目されて再びその意見がテレビで流れてしまうわけですが、もし「彼」が全く別の姿に転生して、匿名で情報発信しだしても結果は同じになるんではないかな?

考えてみれば原題は「Er ist wieder da.」。Erは別に男性名詞であれば人間でなくったって構わない。ひょっとしたら、なんとか主義(なんとかismus)という意味が含まれてるのでは。帰ってきたのは「彼」ではなく「かの思想」ということなのかもしれない。

「彼」の主張や手口に似ている点があるからと言って「「彼」と同じだ、ナチスと同じだ」と攻撃することは、結局自ら「彼」と同様の行動をしているわけで。さらに口では政敵をナチス呼ばわりして批判をしながら言論の封殺や民主主義の否定を目論んでいる人々までいるようでは、この表現しがたい「かの思想」は、最近戻ってきたどころかずっと世界中に潜み続けている病気なのかもしれません。

 

今日は参議院選挙の日。より良き民主主義のためには議席数の配分より、投票率が少しでも上がってくれることを願います。

 

しかしフラッシュモブ撮影をしたといわれているけど、どこからどこまでがそうなのかわからないのが怖いところ。酒場で政治について語っているシーンはともかくとして、W杯優勝の時のシーンとか、いったいどうなってるんでしょう。

やらせだとは言い切れないところが、うすら寒くなるところではあります。