ドイツかぶれの徒然

英語が嫌いで気づいたらこうなっていた。思い出したように更新するただの生存報告になりつつある

はやぶさ2のドイツ版PV

良いものを見つけたので手軽に更新。

現在小惑星リュウグウへ順調に接近中のJAXA探査機はやぶさ2、そのPVをドイツ航空宇宙センター(DLR)が作っていましたのでご紹介します。

日本語版と英語版とドイツ語版があります。格好いいのでもっと伸びてほしい。

Diese Videos von DLR sind die Einleitung des Japanische Asteroidensonde "Hayabusa 2", die einen deutschen Asteroidenlander "MASCOT" an Bord hat.

Es gibt auf japanisch, englisch und deutsch Version. Sieht sehr cool aus! Schau es mal!

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日本側のミッションについてはよく知られていると思いますが、ドイツの着陸機が同乗しています。強度のある四角い箱に目一杯観測機器を詰め込んだいかにもドイツ的なメカ、内蔵したオモリをバネで駆動させ一度だけ移動ができるギミックつき、寿命は二日電池寿命16時間(リュウグウ時間で2日強?)ほどだそうです。

はやぶさ2の応援の傍ら、こっちもこっそり応援してあげてください。

 

6/20:(あ、フランス語版もあったや。誰も見ないだろうし別にええやろ()) 地震で夜に叩き起こされる日が続いてますけど無事です。

Museumsdorf Cloppenburgに行った話

またHDD壊れて新しいHDDをフォーマットしながら書いてたりしますが、まずこの地名の話から……
予定の列車の時間に間に合わなかったので、ハンブルク中央駅でインフォメーションに行って、Cloppenburgに行きたいって言ったんですよ。一度聞き直されて、二度目で通じて、印刷してくれたのはCoppenbrüggeへの行き方。
いや、そんなに俺の発音悪かったかな、と思って筆談に切り替えると、駅員女史曰く「あぁ、クロッペンブィヒね」と。
はい、北ドイツではBurgをブルクと発音しても通じないことがあります。
けど、面倒なので当稿ではクロッペンブルクで通します。

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Museumsdorfというのは博物館村で、古民家園のもっと凄いやつです。18~19世紀の民家だけでなく、風車やパン屋、陶器屋などの施設が移築されていて、ドイツの博物館では珍しくないですがイベント時などには実演が行われる『動態保存』状態で展示されています。醸造所もあったけどこれは流石に作ってないと思う、思いたい、ボロかったし。
その他にも鍛冶屋に、裁縫所に、教会……このラインナップ、Banishedプレイヤーなら絶対気に入ります。あと家畜が平然とウロウロしていたりします。
もともと『トラクターの世界史』で文中に登場していた場所なので訪れたくなったのですが、予想以上に展示品が多く三時間位は見て回っていました。蒸気機関以後の農機は別館で展示されていました。
大きな建物に見える農家も大半が家畜のためのスペースに割かれていて、人間の居住スペースは案外広くなかったり、どの家にも戸棚型のベットがあったり、機械化以前のドイツの農村の様子を知りたいなら本当におすすめです。

 

行き方なんですが、クロッペンブルクへはブレーメンとかオスナブリュックから鉄道で往復もできないことはないでしょう。けど泊まったMünsterländer Hofが素晴らしかったのでダイマしておきます。広いきれいな部屋で、朝食も美味しくて、ついでに美味しいレストランがある小さなクラシックホテルです。
駅から左斜めに伸びるBahnhofstraßeを歩いていってこのホテルの前のロータリーを右に曲がりHagenstraßeを行くと、博物館村の看板があります。が、これは裏口です。自分が行った時は平日だったので窓口に誰もおらず、インターホンを鳴らすと「表口までチケット買いに来てー」というので入っていったら、中で迷って結局チケットを買うまでに一周してしまいましたw
別館はチケットを買う場所から更に道の向かい側というか、そっちが本来の入り口。けど、駅から行くなら明らかに裏口のほうが近くてわかりやすいです。
博物館村の中にDorfkrug、村の酒場という店が営業してます。酒場と言いつつ、博物館村が閉まる夕方には終わってしまうので、どう考えてもカフェ&レストラン。行った日には前日のイベントの片付けをしていたので場内をトラックなどが行き交っており、お詫びでケーキと飲み物のクーポンをくれたのでお邪魔しました。美味しかったです。

 

最後にクロッペンブルクという街について少し。この街は北ドイツでは珍しいカトリックの街で、1936年にはナチス政権のカトリック弾圧に対して大規模な抗議行動が起こっています。そして、現在ドイツで最も出生率の高い地域でもあります。そういえば、行き帰りの列車内でも子どもたちにずっと囲まれてたなぁ。

 

いつもは他の人の記事を読んで参考にさせてもらう立場なので、たまには参考にしていただけたら良いかなと思います。

あー、HDDのフォーマットいつになったらおわるんじゃー(30時間経過)

ナイトジェットの車両

写真をダラダラ載せるシリーズ第二段は、オーストリア国鉄ÖBBの夜行列車nightjetです。どうやら、全て小文字なのが正式っぽい。

自分が乗った時は両手に荷物が一杯だったので、これはチューリッヒ中央駅で散歩がてら列車を眺めていたときの撮影です。

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到着後、牽引機が切り離された列車。暫く前までは混色編成が楽しめたらしいのですが、今はほとんど濃紺の塗装に塗り替えられたnightjet。でもスイス国鉄の普通車がついていて結局塗装統一は無理な感じ。

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こちらはナイトジェット塗装の座席車でÖBBのEC客車のようです。Modularwagenってやつかな?

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WLABmz 61という二階建て寝台車の通路側。豪華個室のあるものとないものがあるらしいです。この車両が走っているのはウィーンかベルリンからくる系統らしいので、行き先票を拡大してみたらどうやらベルリン東駅から来た列車のよう。

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フランス語でCouchetteまたはドイツ語でLiegewagenと呼ばれる寝台車。日本のB寝台相当です。 まだドイツ籍のままのBvcmbz 61 で車体形状はm-Wagenの色合いが濃く、台車は板バネが二段のMD 52台車を履いています。DB向けに1962年から製造されたものを2001年から高速化改造したものです(5/21訂正)。

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こちらもCouchette/Liegewagenですがオーストリア籍のBcmz 61で、車体形状はEurofima車以後の特徴を持っているのに台車はミンデンドイツ式という、前掲の車両と正反対の特徴を持っています。

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さらに前にはÖBBの通常客車がついているので、結局三塗装混色編成になっていました。

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もう一つ別の列車を。クロアチアザグレブから来た便らしく、牽引機はSwiss-Express塗装です。

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クロアチアの客車は調べてもよくわからないんですが、珍しい形の台車にスカートつきと特徴的な外観の座席車Bee。

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こっちはかなりドイツのと同じな感じの寝台車Bcl。

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スカート付きだけど台車はS型ミンデンの個室寝台車WLee。

クロアチアの車両はいずれも最高速度160km/hです。山がちな路線が多そうな南東欧ではそれでも宝の持ち腐れなのかもしれませんが、やはりあまり高速化が進んでいないところのほうが夜行列車の需要は高いのかと思いました。

nightjet、かように色んな出自の車両が雑然と繋がっていて、系統自体も分割併合があったり牽引機のバリエーションも豊富だったりで眺めているだけでも楽しい列車です。

インターシティの客車

いろいろ写真を撮ってきたので何回か続けてまとめたいと思います。

今回はIC1と呼ばれることも増えてきた、従来型のIntercity-Wagenたちについて。

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前回紹介したレア車というのはこの写真…の二両目。なんで形式写真撮ってないんだ俺!

先頭車はBimmdzf287旧東ドイツの「UIC-Z型」客車をIR用に改造した車両をIC用に格上げしたもの。IC用として改造されたBpmmbdzf286とともに多くのインターシティの先頭または最後尾に連結されています。

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そして二両目はこのBpwmz125。車内の写真は前回紹介しましたが、1+2座席でピッチも広く、とても二等車とは思えません。

この車両は1962年から65年にかけてF-ZugおよびTEE用に製造された「ラインゴルト型Rheingold-Wagen」客車で、元一等車が今は格下げされたものです。

他の車両より狭い窓が並んでいるのが特徴的です。流石に古いので、先は長くないものと思われます。

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こちらはAvmz109。ラインゴルト型に引き続いて1965年から1975年にかけて製造されたTEE用客車、「ヘルベチアBauart Helvetia」。ラインゴルトともども、最初に投入された列車名が系列名になっています。

TEEは一等車と食堂車のみで構成された豪華国際列車で、ドイツ国鉄の受け持ち列車のうち客車はこの二種類で構成されていました。その後、国内列車としてIntercityが1971年に運行開始したときも一等のみでした。

割とたくさん作られたので、今でもICの一等車で多く見かけられます。

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1976年から一部、79年には全てのIntercityは二等車を連結し、パターンダイヤとともに現在に繋がる姿となりました。

その時に連結された二等車が標準的な長距離客車だった「UIC-X型」別名「m-wagen」で、電磁吸着ブレーキを装着して最高速度200km/hで運転できるよう改造されました。

その後IC用からは撤退し、IR用に改造され、そしてまたICに返り咲いたのが写真の車両、Bimz256。冷房はついていないらしいです。

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二等車のm-wagenは珍しいようですが、ビュッフェ車であるBoardbistroは全てm-wagenです。ARkimbz266と改装されたARkimmbz288があるのですが、外観からの見分けはつかない……この後すぐ発車してしまったので、車番も撮影していません。

m-wagenとTEE客車は日本でもかなり導入されたミンデンドイツ式(実はMinden-Deutzであって国名とは関係ないのです)台車を履いています。

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現在主力となっているのは、この系列。「Nachfolgeserie der Eurofima-Wagen」と呼ばれているようですが、どう呼んだものか。写真はBpmz294で全て開放客室ですが、一部コンパートメントとしたBvmzという車両もあります。

1979年から製造されたこの系列は、Eurocity用に各国共同で導入したEurofima客車に引き続いて製造されたもので、冷房完備でプラグドア装備なのはEurofima客車と同じなのですが、台車が日本のS型ミンデンに近い軸バネ構成になっています。

ミュンヘンで撮影したこの列車のように、一等車はヘルベチア型、ビュッフェ車はm-Wagenの改造車、制御車はUIC-Zの改造車でほかはこのEurofima後継型というのが、もっとも一般的なICの編成じゃないかと思います。

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車中からのヘボ写真ですが、Eurofima型を。ドイツには珍しい板バネを使わない台車が特徴的です。というか、素直にこの型を量産しなかったのは、この台車が気に入らなかったからじゃないんだろうか?f:id:kariya-kito:20180515232947j:plain

そして、IC2の写真ありました。考えてみると前回書いた不満の大半って扉配置に起因するので、中間車もこの先頭車みたいに低床部分に扉を置けばいいだけじゃないのかなと思ったり。一部の普通用二階建てもそうなってるんだし。

スイスのIC2000は低床部分に出入り口があり、背もたれの裏側に荷物も置けて、さらに貫通路が二階にあって移動はスムーズ、そして200km/h運転もできるとIC2にないものを全部持っている感じなのですが、車両限界をオーバーしてるのと、多分お高いんだろうなぁ。

今後は現行の平屋建てICは引退してこの車両やICEに置き換えていくことがアナウンスされているわけですが、やはり200km/h発揮できる路線にわざわざ160km/h運転しかできないIC2を投入するのは不自然に思われるので、ICE網の拡大となるのかさらなる新型IC客車を用意するのか、何かありそうだと思うのですが、どうでしょうね。

ドイツの鉄道雑感

帰国前に荷物詰めるのもう少し手間取るかと思ったけど意外とすんなり終わったのでBECK'S飲みながら、車中で書いた乱文を校正もせず投げます。まぁ、旅行中に考えていた偽らざる感想というやつです。


・IC2についてf:id:kariya-kito:20180510041838j:plain

(なんと、これだけしか写真がない! 「いつでも撮れるや」って油断は怖いね)
 鳴り物入りで登場した二階建て客車の新型InterCityだが、どうも大荷物を抱えて移動するドイツ人の旅行スタイルに合致していないように思う。乗降には車外から車内へのステップのほか、車内で階段を通過する必要があるわけで大変時間がかかり、年配者などはとてもしんどそうにしている。さらに通常の平屋建て車では機内持ち込みサイズのキャリーバッグまでは荷棚に乗せることができるのだが、IC2ではできない。従って車両前後の荷物入れはすぐ一杯になる。実は車内中央部にもあるのだが、気づかない客が諦めてデッキに滞留する。そして更に乗降に時間がかかる悪循環。お陰でオルデンブルクで接続列車に逃げられた。しかも最初の乗車時、トイレが壊れて悲劇的な悪臭が車内に立ち込めていた……

 ということで、個人的には大変悪評価となってしまったこの新型。乗客が慣れるにつれて解決されていくのか、今後の注目していきたい。てか、こいつの増備はやめてほしい。せめて200km/h出る路線にはそれ相応の車両を入れてほしい……

・ナイトジェット

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(実は乗車した列車ではない。お気づきだろうか? D-ÖBBなのだ!)
 三段の個室寝台を一人で使いました。ホテル代を思えば高くはない、と思います。各室に洗面台があり、使わなかったけど車両当たり一つ? シャワーもありますし。
 ただ、客車自体は割りとボロボロでした。けど、時代遅れのまま打ち捨てられていた末期の日本の寝台列車と異なり、ソフト面のサービスでなんとかその埋め合わせをしようとしている感があり、とても整ったアメニティが提供されていました。何よりサービスがあのワゴン・リ社なんですよ! その点文句の出ようはずもありません。
 朝食は20種類くらいのメニューから6点選ぶ形。追加料金を払えば更に多くもできますし、また夕食や夜食、酒類も注文すれば持ってきてくれます(正直、ここまで充実してると思わなかったから生協で食べ物を買い込んでしまった。ので、頼むことはなかった)。
 乗り心地はというとヨーロッパのネジ式連結器なので前後衝動はなく、停車発車はもちろん機関車の付替えもわからないほど。ただ、夜行列車とはいってもジェットの名に恥じず、200km/h対応車で揃えられていてすっ飛ばすので横Gが意外と大きいです。寝台に寝ている間は大丈夫ですが、走行中に廊下を歩くときは右に左にぶつかるのを覚悟しなければなりませんでした。
 総じて、夜発朝着の夜行列車の長所を最大限に生かしてまだまだ競争力を維持していこうという意思が感じられる、素晴らしい列車でした。今後もしぶとく生き残ってもらいたいものです。

ドイツより生存報告

ライプツィヒ駅広すぎやねん!(=S-Bahnに乗り損ねた)

ので、暇になったので少し更新。

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建物の前まで行ってみちゃった(てへ

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ICで乗ったかなりレア感ある車両。偶然だったので血中の鉄分濃度が急上昇しました。

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東ドイツな大規模農場の菜の花畑。ドイツは今花の季節で、牧草地にはタンポポシロツメクサ、そして紫の花(種類はよくわからない)が咲き、ほかにも桜やアカシアの花も盛りです。

未加工画像につき見にくいかもしれませんが、とりあえずこれで。

 

夜に追記:また事故ってるんですか? そしてまた運転指令が逮捕されたとのこと。ほんと、どうなってるのドイツの鉄道。今回も一度交換駅変更でちょっともたついてた場面に遭遇しましたが、そういうの日常茶飯事なんだろうなぁ。

でも今回は信号を誤ったというより、進路構成のミスかあるいは機械的な不転換の可能性もあるように見える。また落ち着いたら詳しく調べてみます。(このへんの記述も後で訂正・削除するかも)

また今回の事故を取り上げた記事の中に、以前取り上げたバート・アイプリングの事故原因は運転指令が携帯を「遊びながら」仕事をしていたためという記述がありました。恐ろしすぎる!

 

5/21更に追記:暫く報道など見てみましたが、単純にポイントを切り替えミスしたまま進行信号を出してしまった人為的ミスのようです。事故現場となったアイヒャッハ駅の転轍装置は昔ながらのテコとワイヤーで構成されているもので、信号機も腕木式、軌道回路などの在線検知装置と連動した安全装置はなかった様子(停止信号の冒進を阻止するシステムPZBはあった)。旧式化したシステムと信号手のワンオペが招いた事故ということのようです。なお、逮捕された信号手はその日の内に一度釈放されたようです。

「北部朝鮮・植民地時代のドイツ式大規模農場経営」とか、そんな話題

このブログにしては珍しくドイツの話題ですが、またしてもドイツの話題ではありません(

 

三浦洋子(2011)『北部朝鮮・植民地時代のドイツ式大規農場経営』を暫く前に読みました。

WWI時のドイツ人捕虜といえば、板東俘虜収容所のエピソードやユーハイム、フロインドリーブなど今も残る食品産業への影響が有名ですが、日本統治下の朝鮮に渡って農場を作った人たちもいたのです。

もっとも、彼らが農場主になることはなく給金を得て農業をするという今で言う農業法人のスタイルで、経営が上向かないまま出資者の日本人によってドイツ人は解雇されてしまうのですが。

それでも、稲作は気候が合わない土地で粟や稗を食していた当地の人々に、ジャガイモとライ麦を普及させ、様々な肉や牛乳の加工食品を紹介した功績は大きいでしょうし、その影響もまた広範に渡る、はずでした。

しかし戦前の朝鮮に纏わるあらゆる事柄同様、終戦時の混乱に乗じたアレヤコレヤと南北両政府の政策によって、日本人の事績とともにドイツ人が朝鮮の発展に寄与した歴史も埋もれさせられたのです。

彼らドイツ人が開墾した蘭谷農場は今では軍事境界線の北側に位置していますが、彼の国の食糧事情を鑑みるにこの農場が残した手法や教訓も一度一切失われたと見てよいでしょう。

今世紀になってやっとトウモロコシ偏重から脱却しようとジャガイモ革命とか言っているようですが、相変わらず上手く行っていないですし。

 

ライ麦パン大好きな身としては、戦前の日本で寒冷地の農業改善のためにライ麦の栽培が奨励されていたというのがちょっと驚きでした。そのまま普及してくれればよかったのに。。。

それとブルートソーセージなるドイツ語と英語のちゃんぽん感あふれるブルートヴルストも作っていたようで、そのまま普及してくれればよかったのに。。。(二度目

しかしこの蘭谷農場の大規模機械農法が戦前の日本で普及することがなかったのは、やはりこの農場の経営面での躓きによるものだと思います。

1920年に農場が開設された後、1932年のドイツ人解雇まで基本的に赤字を垂れ流している状態で、それが改善されるのには更に10年ほどかかっていたようですが、もう戦争も佳境となっている時期です。

一方で1932年には満州国が建国され、多くの日本人移民が送り込まれたのは広く知られていますが、そこで当初行われた農法というのはがむしゃらに勤勉に土を耕せというやり方で、機械や家畜が最初から導入されていたわけではなかったのです。

ただ満州の日本人による入植のやり方も後年には改善され、機械や化学肥料の投入が行われたようですが、最初から蘭谷のモデルを導入して有畜畑作のやり方に進まなかったのは丁度蘭谷の経営が思わしくなかった時期に当たるからではないか、と思うと少し残念に感じます。

もちろん、戦争が激化するとともにトラクターを始めとした農機の入手は不可能になっていきますから、何をしたとしても時すでに遅かったかもしれませんが。

 

藤原辰史(2017)『トラクターの世界史』も読みました。実のところ、ドイツの話題はこっちのほうが多いんですが、まぁこっちは安い本なので皆さんよんでください(

で、こうなるといろいろ欲求が溜まってきてですね、FarmingSimulatorに出てくるような巨大農機見に行きたいなとか、ライ麦パン食べたいとか、トラクター以前の馬耕の道具ってどうなってたんだろうとか、ブルートヴルスト食べたいとか、狼と香辛料的な村の暮らしが気になったりとか、チーズフォンデュ食べたいとか、黒ビール飲みたいとか、まぁそんなわけで

明日からドイツ行ってきます(

写真とか、余裕あれば載せますね。